ファシリテーションと焚き火の話 

ファシリテーションには、”物事を容易にする、促進する”という辞書での意味があります。 日本では“ファシリテーション=会議の進め方“になってる雰囲気はありますが、そうとは限りません。 NPO国際ファシリテーション協会では、 ”グループの可能性を最大限に活かす力“と定義しています。

私は最近は“焚き火”に、喩え(たとえ)ています。 ”焚き火”で燃えるのは”マキ”、”焚き木”です。 もちろん、”焚き木”は”木の棒”状のものですので、 これを棍棒として、もって振り回して ”対立”、戦うこともできます。 ”自分が正しい”とお互いに殴りあうことも可能です。 屈服させることもできるかもしれません。 ただ、どちらかが勝ってもどちらかあるいは両方の損耗は激しく、 遺恨が残ることもあります。

焚き木には内部に“秘めた燃える力”があります。 その潜在的な力を引き出すためには、焚き木を集めて、組むんです。 もちろん、組み方にコツはあります。そして、種火があれば、火はつくのです。

もちろん、一様に、均質に、一気に、同時にはつきません。 燃えにくいやつはあります。水に浸かっておぼれる寸前のとか、太い巨木とかもあります。 でも、そういうのが燃え出すと、あとで、大きな力になってくれることがあります。 すぐにはむりでも、いつかは巻き込めるかもしれません。

逆に、燃えやすいやつもいます。 最初から発火温度よりあがっている”熱いやつ”とかは環境さえ整えば、自然発火します。 また、いま、仕事がなくて、” 腐ってるやつ”は、機会があれば、すぐに燃えたりしやすい こともあります。

最初、均等に燃えなくても、徐々に火は廻していけば、大きな焚き火になります。 一緒になって、協働することで大きな炎になります。 一緒になって燃えると、そこは、明るく、暖かいです。 ただの足し算でない、化学変化もおきます。

上昇気流もおこって、勝手に燃えやすくなります。 周りの燃えるものを新鮮な空気もまきこんで、風をおこします。 また、凧も上昇気流に乗って飛んで、、上から見たら、 あれ??、この問題!!簡単ジャン!なんていう、 視点変更、捕らえ方、枠組みの変更も可能かも知れません。

アイシュタインだって”従来の枠組みの中で論理的に考えて発見したものはない。”といいます。 既存の枠組み、地上の平面にとどまって答えがないとと嘆くより、 上空、2次元から3次元、別の高さ、角度、視点からの見方を付与すれば、 できることはきっと、あります。 成果が上がれば、一緒に喜ぶことができます。

一緒に喜ぶと組織は強くなります。信頼も、協働の場も生まれます。

燃え終わった後には、少し炭化した焚き木と、種火がのこります。 これを各自が職場やコミュニティ、家庭にもって帰ると、 ”焚き火、暖かかったよね。やってみたいな!!”とか、思ったりして、 ”あれ?この焚き木、炭化して燃えやすくなってるジャン、 ここに、種火もあるし、やってみると、おもしろそう、、、 火をつけてみようか!!” なんて、やつが出てくると、外からコンサルや研修講師が毎回来なくても、 それが組織内に広がって伝染、継承されます。

”やってみてよかった”という体験と”できそうっ!!”って材料、環境があれば、 ”やってみよう”とする意欲は起きます。小さな成功体験でもいいんです。 それを育てる、成長させることはできます。

それを私の研修では大事にしたい、体験してもって帰って欲しいと、 おもっています。現場で相手、人をかえるのでなく、一緒に、 未来に向かって、課題に対応しほしいとおもっています。

ファシリテーターは、ファシリテーションをしきる人で、会議の技術で、中立中庸でなければならない、自分の意見を言ってはならない、発言機会を均等に作るのが大事、という話もありますが、私は、自分の意見も含めて一人一人の意見を大事に扱うのが大事とおもっています。 もちろん、会議以外の場所でも、出来ることからはじめて、関係性、信頼関係をきづき、 発言したり、関わるといいことがある!その想いと意欲をあつめて、行くことが 大事だと私は思っています。

私自身はファシリテーターは、孤軍奮闘で会議を仕切る人ではなく、最初は薪の組み方に配慮し、種火は場所を選んで火をつけ、風を送り、時々組み換え、十分大きく燃えてきたら、お互いの力で 外部からの支援なくとも燃えるようにし、そうなれば、皆の力を信じて、自分自身も一員として一緒に燃える!! そういうのがいいなとおもっています。

老子の影響を受けたといわれる、Dr. James Ye(晏陽初)は、

人々に学び、人々と一緒に計画し、
人々が持っているもので始め、
人々が知っていることの上に築きなさい。
リーダーが真に優れていれば、終わってみると
人々は口々にこういう「自分たちの力でやり遂げた」と。

という言葉をのこしています。ある一つの理想です。

私自身は、ファシリテーションを触媒といっていました。 人の中の潜在的に眠ってる力を引き出す。 オキシドールと二酸化マンガン、、 オキシドールの中に既にある、酸素を出す能力を引き出す二酸化マンガン。 でも、実験やたことがない人が増えて、、触媒って単語のイメージが エンジンのマフラーにはいってる、 ”もえのこりをなんとか無害にする奴、、、” といわれて、、めげました。(笑)

でも、意欲を引き出すというか、、やる気、その氣をひきだすからこそ、 自発的な発言も出るものかもしれません。 発言したらいいことがあるから続くのかもしれません。

ファシリテーションの研修でツールを紹介する方々います。 それもわるくないのですが、材料があって、環境が整っても、 最初の発火点にたっしないと燃焼はおきません。 火を起こすこと、やるといいことがある、そのイメージを どう体験してもらえるようにするかが ファシリテーションの普及には大事だとおもっています。

なお、火をおこすとき、熾火(おきび)、薪が十分燃えたあとの赤くなったもの が火を付けてくれることもあります。そのままでは、大きな火力はのぞめませんが、 十分にうちに秘めた熱いものはある、新しいマキと、新しい空気がはいれば、 最後の一花、華やかに咲かせて、火を移すこともできる。 大きな力をひきだす、生むこともできると思っています。

笑顔の多い社会の実現を願ってやみません。

愛と尊敬と感謝を込めて、 本間直人。