コーチングの日本企業での展開の可能性

※神戸大学大学院経営学研究科に事務局を置く「現代経営学研究学会」が発行している『Business Insight(ビジネス・インサイト)No.39, Autumn 2002,第10巻第3号、2002年9月25日発行』誌に掲載された本間正人「コーチング – アメリカでの展開、日本での可能性」から、一部を抄出し、加筆・修正したものです。




■3つのアプローチ
日本でのコーチングがどのように展開していくか、ということについてですが、まず大きく分けて、企業内とそれ以外(学校、家庭、地域)の2つに分けて考えられます。ここでは後者については、触れませんが、学校の先生がコーチングを実践したり、親やコミュニティの指導者がコーチングを活かしていくこともきわめて重要です。 ここでは、ビジネスの世界で、会社全体として、コーチングを導入する方向性について考えてみます。私見では、企業が経営革新を進めていくにあたって、以下に述べる3つのアプローチでコーチングの導入を、同時並行で進めていくことが効果的だと考えています。

[1]Managerial Coaching
 「管理職研修によりマネジャーがコーチングのスキルを身につける」
[2]Executive Coaching 
 「会社の経費で重役にプロのコーチを雇う」
[3]Corporate Professional Coaching
 「プロのコーチを専門職として社内で養成する」

以下、3つのそれぞれの方向性について、具体的に考えてみましょう。



[1]Managerial Coaching
これまで日本の企業研修は、階層別に行なうパターンが圧倒的に多かった訳ですが、最近はカフェテリア方式で、自分に合ったテーマを選択する研修が増えています。その背景には、人事・研修担当者の間で、コーチングに関する認識が急速に広まったことがあるでしょう。QC、CS、エンパワーメント、チーム・ビルディングなど、アメリカではやったコンセプトが、あまり大きなタイムラグなしに、日本でも注目を集めるのはよくある話です。

しかし、最近、特に増えている「メンタル・ヘルス」と「コーチング」の研修に関しては、単に一過性のブームだからということではなく、やはり、受講者のニーズの高さを反映しているものと思われます。これまで、その重要性にもかかわらず、十分な取組みが行なわれてこなかったという反省があるのでしょう。

その証拠に、新任課長を対象とした階層別研修でも、コーチングをとり入れたり、コーチングを中心にした研修プログラムに切り換えたりしている企業が数多く存在します。目標管理や業績主義の時代になってきたからこそ、マネジャーにとって、コーチングは不可欠の資質であるということが、かなり公汎に認識されてきているようです。

■企業での導入事例
週刊東洋経済(2001年12月1日号)では、「コーチングで強くなる」という大特集が組まれ、日本マクドナルド、ナショナル住宅、LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループなどの事例が紹介されています。 日本マクドナルドという会社は、機敏な価格戦略や環境に対する取り組みも優れていますが、古くから「ハンバーガー大学」を有し、徹底したマネジャー教育を行なっていることでも有名です。

そして、日本国内でコーチングの研修を最も早く導入した企業の1つです。一般に、マクドナルドの店鋪では、従業員に占めるパートタイムやアルバイトの若いスタッフの割合が高く、世代間コミュニケーション(Inter-Generational Communication)がきわめて重要です。もし、上司が鬼のような接し方をしようものなら、モラールが低下するのはもちろん、翌日からやめてしまうという可能性もかなりあります。定着率の低下は人事コストの上昇につながりますので、これは経営上大きな問題です。 日本マクドナルドでは、店鋪のマネジャーを対象にしたコーチング研修を導入した結果、定着率の大幅な改善が見られたということが報告されています。

世界的な高級ブランドを扱うLVMHグループの場合には、ファッション・ブティックや化粧品カウンターのマネジャーの研修にコーチングをとり入れています。 こうした店鋪のマネジャーは、販売のプロとしての経験が豊富で、接客技術にかけては超一流なのですが、部下をマネジメントした経験は乏しいという場合がままあります。そのため、店長自身が販売で活躍するばかりでなく、他のスタッフを育成する発想とスキルを高めていくことが、組織発展の鍵を握るのです。こうした意識改革を目ざして、幅広い層にコーチングを中心とした研修を実施しています。叱責と命令を中心としたマネジメントから、質問と承認を活用したマネジメントへと、転換が進み、店の雰囲気が明るくなったというケースも多いようです。また、ヘラルド・トリビューン・アサヒ(2002年3月28日号)では、「Hey, coach! Help me manage」という記事の中で、電通やIBMの管理職の体験談が紹介されています。

■研修実施企業の声
私自身、のべ百数十社で、コーチングの管理職研修を実施してきました。信義上、個別の企業名をあげることはできませんが、研修終了後、3ヶ月後あるいは半年後に、追跡アンケート調査を行なった場合に、「部下の話を聴くようになった」「ほめる頻度が高くなった」などといった行動の変化が報告されています。

厳しい経営環境の中で、「意識変化」の重要性が叫ばれていますが、実は行動変化が先で、意識変化というのは、後からついてくるものなのではないでしょうか?コーチングは、管理監督職のための精神論というよりは、具体的なスキルとして取り入れられる可能性が高いように思われます。

一般に、企業の業績が悪くなると、研修費は削減されることが多いのは残念なことです。ところが業界トップを走る企業は、研修費を減らすどころか、かえって時間のある時に、管理職研修を増やす方針をとることもあります。 こうした考え方の違いにより、トップと二番手グループとの差は縮まるどころか、かえって広がっているケースが多いようです。「一人勝ちの時代」とは、「勝者が人的資源に投資することによってリードを広げる時代」であることを、経営者は気づくべきではないでしょうか?

研修費の費用対効果は、測定が難しいものですが、どんな業界でも、業績の良い企業と研修費との間には高い相関関係があると私は推察しています。このテーマに関する実証的・定量的な研究が望まれます。また、個々の研修についても、終了直後に行なう「面白かった」「わかりやすかった」という印象論的なアンケートだけではなく、ある程度、時間をおいて行動変化を測定するフォローアップの調査が必要なのではないでしょうか?



[2]Executive Coaching 米国では、CEOや執行役員など、経営陣のトップに社費でコーチを雇うExecutive Coaching は、もはや常識に近い形で広く行なわれています。重役をヘッドハンティングする際に、ボーナスやストック・オプションなどの経済的インセンティブ、保険や休暇などの福利厚生に加え、会社の経費で自分に合ったエグゼキュティブ・コーチを雇うことが、フリンジ・ベネフィットの一部として認められている場合もあります。

日本の大企業が、国際競争力を維持し、高めていくために、今後、絶対に必要な領域と考えます。先の商法改正以来、取締役の個人責任は重くなり、執行役員が何に対して責任を負うのか、という職務分掌は明確化してきています。しかし、役員がその重責を果たしていくためのインフラの整備は、一向に進んでいないのが実情です。むしろ、株主代表訴訟を恐れて、事なかれ主義に走る取締役が増えているケースも多いのではないでしょうか。

たとえば、アメリカのように、本部長や事業部長クラスの役員に、ビジネス経験の豊かなプロのコーチがついて、週に1回、30分程度、電話でコーチングを受けると、非常に大きな効果が期待できます。たとえば、一人で抱え込んでいた課題を別の角度から見ることが可能になったり、複数の懸案の間の優先順位が明確になったりすることは、非常によくあることです。 また、単位業務に要する所要時間が短縮して、行動が加速されて、タイムマネジメントが向上したという体験談が、アメリカでは数多く報告されています。あるいは、他の人には話せない愚痴や悩みを告白することで、ストレス・マネジメントにもつながるというケースも多いようです。アメリカでは、カウンセラーやセラピストの活用も、日本よりはるかに一般的ですが、カウンセリングが「過去に向かってWHY」を問いかけるのに対し、コーチングでは「未来に向かってHOW」を重視する点で、多忙なエグゼキュティブの多くの人には、コーチングの方が適していると言えそうです。

これまでのところ、日本国内では、プロのコーチを雇っているのは、中小企業の経営者か、外資系企業のエグゼキュティブがほとんどです。つまり、一部上場企業などいわゆる「大企業」のエグゼキュティブ、でコーチの力を活用している人は、少ないのが現状です。 日米のホワイトカラーの生産性を比較すると、アメリカの方が3割?5割高いなどとよく言われますが、執行役員以上のエグゼキュティブに限ると、私の印象では、2倍、3倍の差があるのではかと感じています。この点についても、定量的な研究が望まれます。 エグゼキュティブ・コーチングだけが、日米の生産性の格差の一因であるとは思えませんが、最も、短期間にかつ安価に修復しやすいファクターであるとは考えられます。たとえば、年間2万?3万ドルの社費を使って、プロのコーチを雇ったことで、その部門の売り上げが数百万ドル、あるいはそれ以上、上がることも、よくあります。投資効果1000倍、数万倍という数字も、決して誇張とは言い切れません。 執行役員から上のエグゼキュティブのための集合研修と個別のコーチングが、日本企業のV字型回復の鍵を握る可能性を持っていると、私は考えています。



[3]Corporate Professional Coaching
これは、社内に専門職ルートの1つとして、プロのコーチを養成し、設置するという方法です。社内コーチは、その会社での自らの経験に基づいて、後身の指導にあたるので、メンタリング(mentoring)に近い役割とも言えます。 この分野の先頭を行くのは、IBM社で、すでに社内コーチを数十人抱え、エグゼキュティブだけでなく、マネジャーやプロフェッショナルの様々な問題解決、目標達成をサポートしています。また、社内コーチが、厳密には社外ですが、グループ企業の幹部をコーチングするというケースもあるようです。

こうした状況を受けて、国際コーチ連盟(ICF)でも、社内コーチの資格(CICC = Certified Internal Corporate Coach)を認定する制度を始めました。 日本でも、PHP研究所が「ビジネスコーチ養成講座」を開催している他、本来はプロのコーチを養成するのが主眼であるコーチ21のCTPコースにも、ビジネスピープルの参加が目立って増えています。これは、プロに近いコーチングスキルを修得し、社内で活用するニーズが高くなっているためと思われます。

また、社外の人材が「社内コーチ」として中途採用されるケースも確認されました。私がお目にかかった方は、30代の女性の方で、コーチングのトレーニングを受けた後、IT系企業にコーチとして採用され、社長室に属するコーチとして、管理職のサポートを行なっています。IT技術については、よくわからないと、おっしゃっていましたが、人間関係に悩む管理職にとっては貴重な援軍のようで、コーチング・セッションのスケジュールは、ほぼいっぱいということでした。

情報通信技術の発達や統合・合併などにより、組織がフラット化はますます進み、管理職ポストがますます減っていくことが予想されます。そんな時代に、管理職適性では定員の枠には入れなかったが、後進の指導育成には優れた適性を持っているという人材の有効活用を図ることは、組織の活性化に直接、響きます。

つまり、社内コーチ(私は「指導職」という呼称が良いと思っています)という専門職ルートを確立することにより、

(1)ベテランの人材の有効活用につながり、本人もやる気が高まる (2)管理職が担当する部下の数は増えていて、個別指導が難しい状況で、社内コーチが、若手社員の問題解決や能力向上、中堅社員の目標達成、ベテラン社員のモーティベーション向上など、さまざまなサポートをすることができ、管理職の負担を軽減できる (3)管理職や専門職に対してコーチングを行なうことで、パフォーマンスが上がる

などといった効果が期待できます。一石三鳥くらいのご利益があるのではないでしょうか? ただし、社内コーチを目ざす人材には、プロのコーチとなるためのトレーニングをみっちり受けてもらうことが大切です。クライアントの話を聴かない、自分のやり方を押しつけるというのでは、まったく逆効果になってしまいます。1つの専門職ルートとして必要な研修の場を提供することにより、本人の自覚と力量、そして自尊心を高めることが大切なのです。

社内に心理カウンセラーを置くことも、現代社会では有力な施策の1つでしょうが、心理的に問題があるとは言えない人の方が多いはずです。また、カウンセリングを受けるということ自体に抵抗感を感じる世代も少なくありません。また、ビジネス経験をもったカウンセラーの数はまだ少ないようです。

心理的な問題とまではいかないが、仕事上の様々な悩みを抱えているという多くの管理職・専門職にとって、社内コーチの存在はきわめて有益です。心理学の専門家ではありませんが、豊富な職務経験を有し、管理職や専門職の気持ちが理解できる人と話をすることだけでも、ずいぶん気持ちが楽になるものです。ですから、自分のやり方や成功体験を押し付けるのではなく、あくまでも自分自身の経験は「資源」として活用するメンターとしての役割、クライアントから解決策を引き出していく、プロのコーチとしてのスタンスが、社内コーチには求められています。

■最後に
先にも述べましたが、コーチングは一過性のはやり(fad)ではなく、将来に渡って、マネジメントの基礎スキルとして認識され定着されていくと私は考えています。

おそらく、マーケティングという言葉を聞いたことのないビジネスピープルがいないように、コーチングもまた、一般的な語彙の一部になっていくと思われます。

そして、さらに大きく言えば、21世紀からの人類のフロンティアである「人間の内側」の大きな可能性を拓く1つの基本的なアプローチなのではないかとも考えられるのです。



本間正人