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山男はなぜ山に登るのか?


 登山家、山男、山女は、なぜ山に登るのでしょうか?
 古典的な答えは“そこに山があるから!!”。
 これは、いつも“なぜエベレストに登るのか?”と同じ質問ばかりされることに嫌気がさしたイギリスの登山家マロリーがやけくそ?で、適当に発した言葉とも言われていますが、記者の創作という話もあります。いづれにしろ年配の私たちには、有名な話です。
 でも、実際は、そこに山があっても登らない人はいます。“疲れる”、“大変”、“登ってもお金にならない”、“意味ない”、“お風呂に、はいれない”、登らない理由はいっぱいあります。
 でも、登る理由もまた多くあります。もちろん、報奨金が、名声が、という、外的動機もあるかもしれません。毎日のお仕事として、給料がもらえるから山に荷物届けてる人もいます。
 さらに、荷物運んでくれる人をお金払って雇ってでも、登ろうとする方もいます。
 頂上を極めた達成感、登れるようになった自己成長感、初めて出来た、滅多に登れない山に上れた稀少感、苦労を乗り越えた仲間との協働感、自分ができる力をもっているという自己効力感、もちろん、結果の喜びだけでなくプロセスの喜び、と、内的動機付けは多くあるように思います。
 それの全部または一部でも、山に登って”味わった”あと、次の山を目指そうとする意欲が生まれるものではないでしょうか?登るたびに、その山に登るとなんとか感、良いことの言われる種類、バリエーションは増えてくように思います。
 その内的動機付け、山に登るとよいことがあると山男、山女、山人は、なぜ知っているのでしょうか?
 もちろん、知り合いの登山家から、”あの山に登ってよかった”との素敵な話を聴いて、勧誘された、憧れたのかもしれません。あるいは、自分自身、過去に違う山に登って嬉しかった事があって、次は、あの山と思っていたのかもしれません。
 では、人生で最初の山は、どうだったのでしょうか?最初から、山登りの実感がなくても、伝聞推定。妄想ではじめることもあるかもしれませんが、学校の遠足で、親に連れられ嫌がりながらも、ご褒美とか別の目的につられて、偶然たまたま、そんなことだった人も多いかもしれません。
 なんでもいいのですが、“山を登ると嬉しい”なんて知らなくても、登って見た結果、”嬉しかった初めての体験”が新たに生み出されている可能性はありませんか?。最初の一回は、“やらされ感”でも、登って嬉しいことがあれば、次は“自発的に”登る。そこに、”喜びがある”と、この循環でいわゆる強化学習がおきる、さらに、山に登る“自発的意欲”はより強くなる。そんなことはあるのではないでしょうか?。

 次の山にのぼると、違う喜び方を増やすことができる、より高い山にのぼれた、早く昇れるようになった、自己成長感、珍しい山に登れた希少感、記録に挑戦できた自己効力感、仲間と一緒に喜べた協働感・人は喜ぶ時に他の喜び方も増やすことができます。
だから国内から海外へ、エベレスト、ヒマラヤ、と、高さを極めたあとも、5大陸制覇とか、冬季単独とか、前人未到ルート、最高年齢とか、喜び方はふえる、あきること、麻痺することは少ない。
 山に登って満足していいんです。その成功体験が次の動機づけになるんです。
経験が増えると、喜びの種類もまた、増えていきます。大人になると味覚の種類、幅が広がるように。仕事覚える、仕事上でも自己成長すると、仕事上での喜びが増えていくように、

でも、何時も順調とは限りません。初心者のころ、では、”もう一度”と思って登っていくと、あれ??立ちはだかる障害!!。崖崩れ。道がない!!

これはどうしようと思った時、根拠のない自信が囁く、、
”やったことはない、道はないけど、うーん、これを乗り越えるとあれ以上の喜びがきっとある、自分だったら、この横を抜けて、、やったことはないけど、、出来るかも!!
 喜びある未来を信じてをもう一度”と想像して、がんばって乗り越えるとできた!!
喜び倍増、みたいなことはあるんじゃないでしょうか?
 未知を切り開く力の自信もつく、困難や障害を乗り越えて成長する、その向こうの喜びを手に入れて、そうして、立派な山男は育っていくのではないのでしょうか?
もちろん、山女も。


でも、人生で最初の山、山の楽しさなんて知らない。しょうがなく連れられてきてる状態で、、崖崩れに遭遇。それは不運です。
 ”こんなの聞いてない。ガイドが悪い、。下調べしてないからだ。怪我したら、失敗したら、、どうすrんだ、危険がいっぱい。やだ”って登らない選択、自分には無理と諦める、向いてないとおもう人もいるかもしれません。
 さらに、先輩などから、”大丈夫だ、何をいってるんだ、このぐらい簡単だ、出来て当然、横登ってきゃいんだから、出来て当然”と叱咤激励、むりやり、崖登らされる場合もあるかもしれません。
もちろん、結果、ちゃんと、登りきって一緒に喜べればそれは、大きな成長のチャンスです。登ったけど、御来光は曇ってて見えない、雨風ははげしい。登れちょろこびに浸る暇はないとか、、思いっきり不運なんてのありえます。
でも、昔は、うまくいくまで、そうするなんてのがありました。ただ、それは、先輩でそうやってうまくいった実例があって、そういう逸話も聞いていて、がんばれ、大丈夫だとフォローしてくれる先輩もいたりするからだったとこはないでしょうか?

 逆に、うまくできない挙句、途中で時間切れ?断念させられたあげく、
”だらしない。しっかりしろ、もっとがんばれ、なんでできないんだ”と言われてたりする、、つぎも、サポートもないし、うまくいく見通しも、出来ている先輩の例も知らないのやらされてる感覚ありありなのに、”できて当然。だめな奴”と言われ続ける。
めげたりしません?”なんでめげるんだ、根性が足りない”と追い打ち変えれれたりして。
 できなくても、”次頑張ろう”と思えるフォローがあればいいのですが、、できれば、先に、小さな簡単な山で一回は成功体験しといたほうが、ベターかと、、
 仕事でも人生でも、やらない理由があっても、それでもやる理由をえらんで自発的にするためには、動機付けの開発が重要で、可能だと私は思います。他の人との協働で、相手にその気がないと、あきらめていませんか?いつも相手が協力的で好意的とは限りません。が、無視状態とか、敵対的とかともかぎりません。その中間の状態から、可能性を見いだし、協力、関係性をどう築いていくか?
 山登りと同じで、たとえ低い山でも仕事でも一緒にやって、喜べれば、意欲は引き出せる、意欲は育つと私は信じています。拙著”チーム力をつくる3ステップ”では、プラスのスパイラルと呼んでいますが、やってみて良いことがあれば、それが、チームの学習、個人の成長、モチベーションの強化を引き出すと私は思っています。
逆に仕事の出来を検査検収、テストするプロジェクト評価、そこででは、テストする側、テストされる側、対立の構造になると、どちらの側でも出来てあたり前みたいな構造になりがちです。

もちろん、社会構造が変わって、
プロジェクトマネジメントで、業務内容が標準化され、コミュニケーションに使用する言語も曖昧さがなく、メンバーも教育訓練済み、その業務内容、作業ができる状態で契約されてるなら、問題はないかもしれません。ただ、それも社会の変化、人の当り前変化があると、それでも厳しいことがありますが。

 ミスは、仕様の間違い、想定の甘さ、コミュニューケーションギャップ、プログラム上のミス、いろんなことが原因になりますが、テストはミスがないのが基準、出来てあたり前で行われることが多いです。
 テストされてる方は、どうも、自分の能力をとやかく言われてるみたいで、監視する人される人、対立構造、階層構造を思わず作ってみたりします。
 何でこんな失敗をという自己無力感、やり直しだぁという徒労感、締め切りが、、、という焦燥感、どちらかという自発的にでなく義務でやる雰囲気だと考えるところがあります。となると、社会変化による修正も必要最低限、どちらかというと受身で、後手後手で、事前に対策取れれば楽なのに、、ってこともあるかと思います。

 ペアプログラミングでプログラム作成とテストとを交互に実施すると、検査する側の対立でなく、一緒に、完成度を確認しながら高めて行く、一緒に山を登っている、協働感が生まれることも期待できます。社会環境変化もあって当たり前、どう乗り越えるか、積極的に考えていくこともあります。言われたことはやってます的にではなく、、、、
 同じ仕事かもしれませんが、関わり方で登山と同様、一緒にやった後ろに喜びがイメージできれば、力が出ることもあるかとおもいます。

長文になりましたが、、お読みいただいてありがとうございます。愛と尊敬と感謝を込めて、本間直人

補足 元の英語をしらべますと、
― Why do you climb Mt. Everest?― Because it is there.
これだと、山がではなくて、エベレストがあるから、“未踏峰の世界一高い山、エベレスト”がそこにあるから挑戦を続けているという意味の気もします。達成感、自己成長感、稀少感、仲間との協働感がベースにあるように思います。


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